OCC無牧ミニストリーズ  教会と牧師、都市と地方を結ぶ 後編

日本全体の教勢の減衰傾向が指摘されるのにともない、無牧教会、ひいては教会閉鎖の件数増加が不安視される中、お茶の水クリスチャンセンター(村上宣道理事長)は、牧師を探している教会と奉仕の場を求めている教職者をつなぐ「OCC無牧ミニストリーズ」を展開している。言わば、教会と牧師を結びつける〝マッチングシステム〟だ。そのコーディネーターを務めるのは栗﨑路(あゆみ)氏。東京基督教大学で修士論文「無牧の教会に対するサポートシステムの構築」により学位を取得し、現在幸町キリスト教会(茨城県筑西市)で奉仕する栗﨑氏だが、このミニストリーは単なる「牧師紹介」ではないと言う。この働きが必要とされる背景、展望を聞いた。

https://muboku.org

―「牧師さえ見つかれば問題解決、ということではない」とは、どういうことですか。
牧師のいない教会の問題は、説教者がいないことで、礼拝が持てない、群れが養われない、ということだと思いますが、牧師を立てるということは、その問題を解決する一つの手段です。たとえ牧師が与えられても、その教会できちんと「牧会」できなければ、問題は解決しません。そのためには、牧師も迎える教会も、お互いに理解し努力する必要が当然あるだろうと思います。牧師を求めている教会の多くは、小さな規模の教会です。単立であるならば、開拓から始めた前の牧師の影響が強く信徒に残っており、同じような牧師を求め、それ故に、場合によっては牧師という職務を正しく理解していない場合もあります。「前の牧師と違う」ということで受け入れられないならば、誰が行っても牧会は困難でしょうし、残念ながらそういう教会もあるのです。ある牧師は、「一家族で良いから、牧師と信徒の架け橋になってくる人がいれば」と言っていました。

一方で、牧師がいなくなっても信徒リーダーがいれば教会は存続すると思わされています。私が導かれた幸町キリスト教会は、2年間無牧でした。前の牧師が辞任した後は、二家族だけで祈り会をしていましたが、重荷を与えられた信徒が説教をするようになり、本当に手探りの状態だったようですが、礼拝が守られました。しばらくしてアメリカの教会とつながりができ、そこの牧師が教材や説教を送ってくれるようになり、年に何回かはスカイプでメッセージもしてくれたようです。自分たちを覚えてくれている牧師がいて、祈ってくれて、年に一回でも二回でも訪問してくれれば、信徒はちゃんと養われていきます。スカイプでのメッセージだったとしても、全然知らない牧師の説教をネットで見るのとは違うでしょう。私が赴任したときも、この教会の信徒は霊的にそれほど停滞していなかった。伝道への意欲もありました。無牧教会で調査をすると、多くの場合、信仰的には落ち込んでいるものなのですが。

―それでも、先生の教会の信徒の方は、牧師を欲したということですね。
それは当然でしょう。教会は牧師を求めています。同じように奉仕の場を探している教職者もいます。それならば何とかして両者を結び合せる方策を考えるべきです。

―教会はそうとして、教職者はそれほどいるものでしょうか。
私自身、今の教会に導かれはしましたが、神学校にいて無牧教会に遣わされたいと願っていた時には、自分で奉仕先の教会を探す術を知りませんでした。献身者の中には奉仕先が見つからなくて、神学校を卒業しても牧会の現場に出ることのできない人もいます。ユースミニストリーの盛んな教会からは献身者が多く出て神学校で学びますが、卒業しても自分の教会で有給のポストが無くて、週日は働きながら週末だけ教会のボランティアスタッフをしている人もいます。地方の小さな教会から献身者が起こされても、母教会に現在牧師がいるならば、卒業して帰ってきても、教会が二人の牧師を支える余裕はないということもあります。それに、私もアメリカの神学校にいましたけれど、海外で学んだ者は結構日本での働き場所がないんです。そう考えると、人材不足と言いながら、実は宣教の現場でもっと働きたいと思っている人はたくさんいて、そんな人材を生かせていないのではないか、と思われます。有為な人材を生かすにはどうしたらいいかと考えたのが、このシステムです。

―人為的なシステムということで、反対意見が聞こえてきそうです。
神様が教会を導き、働き人ひとりひとりの人生に豊かにご介入くださるということは当然なことです。しかし同時にその信仰は私たちが知恵を用いることを否定するものではないでしょうし、実際に牧師派遣・招聘のシステムの整った教団で行われているのは、このようなマッチングでしょう。そのシステムの中にも神様の介入はあるはずです。

―あくまでも無牧教会の支援ということで言うならば、経済的に牧師を招聘できないケースは少なくないのでは。
特に地方では、一教会一牧師はこれから一層難しくなるでしょう。先ほども触れましたが、信徒牧会者をもっと育てる必要があります。そして、特に単立の教会は、他の教会とつながりを持つべきです。自分の教会に牧師がいなくても、いつも覚えて祈ってくれる牧師がいる。その牧師の説教をネットにつなげば毎週見ることだってできるはずです。ネットならばどれだけ遠方にいる牧師ともつながります。実際、私の教会を支えてくれたのはアメリカの教会の牧師でした。高齢者ばかりの地方の教会ではそんなことはできない、と言うかもしれませんが、その程度のことを技術的に行える人間は都市部の教会にはいくらでもいます。

都市部の教会はもっと地方の教会のことを具体的に考え、支援すべきです。地方の小さな教会が、自分の教会の中で全ての問題を解決しようとしたら、とても無理でしょう。牧師だけでなく、牧師を手始めに、いろいろな人材の共有を考えるべきではないでしょうか。そのために都市部の教会にできることがあるはずです。このミニストリーが、地方と都市の教会をつなぐ働きにもなっていくことを願っています。

前編(11月24日号)

 

栗﨑先生は、日本のキリスト教会の無牧化の現状とその分析に関する研究論文を執筆され、TCU大学院で修士号を取得されました。
「無牧ミニストリーズ」は、決して一時の思いつきではなく、丁寧な基礎研究と数々のインタビューに基づいて提案されているものです。この働きが主に祝され、広く用いられることを心から願っています。(岡村 直樹=東京基督教大学 大学院教授・教務部長)

 

今日教会が直面する課題を指摘することは簡単です。しかしそれを精査分析し、問題の本質を探り、打開策までまとめ上げることは大きな仕事です。栗﨑氏はさらに提言から解決への実践、起動する組織の立て上げまで踏み込んでいます。氏の福音宣教の熱情と行動力に賛同し、協力を惜しまないものです。(大田 裕作=関西聖書学院 学院長)